東京高等裁判所 平成3年(行ケ)288号 判決 1993年12月21日
オランダ国
ゲリーン
原告
スタミカーボン ビー ベー
同代表者
アー エフ ファン デン ベルイ
同
ウエー セー エル ホーヘス トラテン
同訴訟代理人弁理士
川口義雄
同
中村至
同
船山武
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
麻生渡
同指定代理人
井出隆一
同
産形和央
同
田中靖紘
同
長澤正夫
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間として90日を定める。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
「特許庁が昭和57年審判第23221号事件について平成3年6月20日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文1、2項と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、1979年6月27日にオランダ国に対してした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和55年6月24日、名称を「モジュラス及び引張強さが共に大きいフイラメント及びその製造方法」(その後「モジュラス及び引張強さが共に大きいフイラメントの製造方法」と補正)とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和55年特許願第85819号)をしたところ、拒絶査定があったので、審判を請求し、昭和57年審判第23221号事件として審理され、平成元年5月15日、平成1年特許出願公告第24887号公報(以下「本願公報」という。)をもって出願公告がされたが、特許異議の申立てがあり、平成3年6月20日、特許異議の申立ては理由があるとの決定とともに、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決(出訴期間として90日を附加)があり、その謄本は、同年8月8日原告に送達された。
2 本願発明の特許請求の範囲1項
高分子量線状ポリマーを紡糸し、フイラメントを延伸することによってモジュラス及び引張強さが共に大きいフイラメントを製造する方法において、重量平均分子量Mw≧6×105の線状ポリエチレンの1~50重量%溶液を紡糸すると共に、ゲル状フイラメントが形成するまで実質的に溶剤を蒸発せずにこれを冷却し、ついで、少なくとも部分的に洗浄により溶剤を除去し、かつ、ゲル状フイラメントを全延伸倍率が少なくとも(12×106/Mw)+1となるような延伸比でフイラメントのモジュラスが少なくとも約238g/dになるような温度において該延伸比を適用して延伸することを特徴とする上記フイラメントの製造方法
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。
そして、本願発明の全文補正明細書には、「本発明方法においては、紡糸口金からでてくるフイラメントを冷却帯域に送って、ここで実質的に溶剤を蒸発させずに冷却してゲル状フイラメントを作り、これを延伸する。この場合、溶剤含有ゲル状フイラメントから延伸前、延伸中、延伸後、好ましくは延伸中にフイラメントから可能な限り多量に溶剤を洗浄によって除去する。洗浄は溶剤の可溶な浴中を通過させることにより、都合よく行なえる。」(9頁下から2行ないし10頁6行)と記載され、一番好ましい洗浄態様が示されている。
(2) これに対し、昭和60年特許出願公告第47922号公報(特許法64条による補正の結果を含む。以下「先願公報」という。)の特許請求の範囲には次の発明(以下「先願発明」という。)が記載されている。
「1 濃度1~30重量%の加熱した分子量60万以上のポリオレフイン溶液を溶液紡糸して溶液状態のフイラメントを得、直ちに該溶液状フイラメントを、積極的には溶媒の除去を行わずに、溶解温度以下に冷却することによってゲルフイラメントとし、得られたポリオレフインゲルからなるゲルフイラメントを延伸するにあたって該ゲルフイラメントが該ポリオレフインに対して少なくとも25重量%の溶媒を含んだ条件下に延伸を開始し、延伸の最終段階で少なくとも大部分の溶媒がなくなるように溶媒を除去しながら、全延伸倍率が少なくとも11以上の延伸比で延伸して引張り強さ1.32GPa以上、弾性率23.9GPa以上のフイラメントを得ることを特徴とする引張り強さと弾性率が共に大きい延伸されたポリオレフインフイラメントを製造する方法。
2 ゲルフイラメントの延伸をポレオレフインの膨潤点と融点との間の温度で行う前記第1項の方法。
3 延伸を20倍以上の延伸比で行う前記第1項または第2項の方法。
4 延伸を30倍以上の延伸比で行う前記第1項、第2項または第3項の方法。
5 ポリマー濃度1~5%のポリオレフイン溶液を紡糸し、冷却してゲルフイラメントにする前記第1項の方法。
6 ポリオレフインが分子量60万以上のポリエチレンである前記第1項の方法。」
そして、この先願公報には、「本発明によれば、ポリオレフイン溶液1の紡糸直後に行うフイラメントからの溶剤の蒸発は冷却時に促進されない。フイラメントは適当な方法で、(略)あるいは空気がほとんどか全く吹き付けられていないシヤフトに通すことによって溶剤中のポリマーの溶解温度以下、特にポリマーの膨潤点以下に冷却できる。溶剤がフイラメントから自然に若干量蒸発することがあるが、これは避けることができない。」(3欄下から3行ないし4欄7行)、「溶剤中のポリマーの溶解温度以下、特にポリマーの膨潤点以下に冷却すると、紡糸液からポリマーが析出し、そしてゲルが生成する。このポリマーゲルからなるフイラメント(ゲルフイラメントともいう)は紡糸によく使用されているガイド、ロール4、6などによってさらに加工処理するのに必要な機械的強度を十分に持ち合わせている。この種のフイラメントは溶剤中のフイラメントの膨潤点とポリマーの融点との間にある温度に加熱すれば、その温度で延伸できる。これは所要温度に保持したガス状か液状の媒体を含む領域にフイラメントを通すと実施できる。ガス状媒体として空気を使用する管状オーブン5が好適であるが、勿論液体浴あるいは他の適当な装置も使用できる。(略)
フイラメントを延伸している間に、溶剤が蒸発する。液状媒体を使用する場合には、溶剤がこの媒体に溶解する。」(4欄12行ないし29行)とそれぞれ説明されている。
(3) そこで、本願発明と先願発明との異同を検討する。
先願発明は、分子量60万以上のポリエチレンなどのポリオレフインを対象とし、このポリマーの1~30重量%の溶液を紡糸し、溶媒(溶剤)を実質的に除去つまり蒸発させることなく冷却してゲルフイラメントとし、ついで全延伸倍率を少なくとも11以上、例えば、20以上、あるいは30以上に延伸するとともに、フイラメント中の溶剤を除去し、フイラメントのモジュラス(弾性率)が23.9GPa以上であって、かつ引張り強さの大きいフイラメントを製造するものである。
一方、本願発明は、分子量が60万以上のポリエチレンの1~50重量%の溶剤を紡糸し、溶剤を実質的に蒸発させることなく冷却してゲルフイラメントとし、ついで少なくとも部分的に洗浄により溶剤を除去し、かつ全延伸倍率を少なくとも(12×106/分子量)+1となるように延伸して、フイラメントのモジュラスが少なくとも約238g/dであり、かつ引張り強さの大きいフイラメントを製造するものである。ここでもモジュラスが約238g/dというのはほぼ20GPaに相当する。
そうすると、本願発明も先願発明も分子量60万以上のポリエチレンを対象とし、溶液を紡糸し、これを冷却し、延伸してモジュラス及び引張り強さがともに大きいフイラメントを製造する点で一致しているが、両者で相違しているのは、フイラメント中の溶剤の除去の仕方についてであって、本願発明では特許請求の範囲で「少なくとも部分的に洗浄により溶剤を除去し」となっているのに対し、先願発明では特許請求の範囲でこの洗浄により溶剤を除去する点が明記されていない点である。
以下、この点について検討する。
本願発明では、このフイラメントからの溶剤の除去については、紡糸し冷却したゲルフイラメントを延伸しつつ洗浄により除去するのが一番よく、都合よく行うことができるのは溶剤の可溶な浴中を通過させることであるとされている。
一方、先願発明では、紡糸し冷却したゲルフイラメントを延伸する際にはガス状の媒体を含む領域内で行うことばかりでなく、液状の媒体を含む領域内でフイラメントを通して延伸してもよいことが明記され、かつこの液状の媒体を使用する場合にはフイラメント中の溶剤が媒体に溶解して除去されることも明記されている。ここで、溶剤が媒体に溶解してフイラメントから除去されるということは、煤体で洗浄して溶剤を除去することと同じことであり、本願発明でも媒体浴にフイラメントを通して除去を都合よく行うことができると記載されており、この点では本願発明も先願発明も同じことなる。
(4) そうすると、本願発明も先願発明も、記載、表現は多少相違するものの、まったく同じ実施態様を対象としていることとなり、本願発明は、先願発明と同一であって、特許法39条1項の規定に該当し、特許を受けることができない。
4 審決の取消事由
審決の本願発明の特許請求の範囲1項の記載、先願公報の記載並びに本願発明と先願発明との一致点及び相違点の認定は認めるが、審決には、本願発明の要旨の認定を誤り、本願発明におけるフイラメントの洗浄は延伸中に行われる態様のものが含まれると誤って判断したことにより、相違点に対する判断を誤り、もつて、本願発明と先願発明とは同一であると誤って判断した違法と、原告に対して新たな拒絶理由通知をすることなく、特許異議の理由とは異なる理由により本願発明を拒絶すべきものと判断した手続上の違背があるので、取消しを免れない。
(1) 取消事由1-相違点に対する判断の誤り
本願発明の特許請求の範囲1項中「ゲル状フイラメントが形成するまで実質的に溶剤を蒸発せずにこれを冷却し、ついで、少なくとも部分的に洗浄により溶剤を除去し、かつ、ゲル状フイラメントを(略)延伸する」とは、フイラメントの冷却、洗浄による溶剤の除去、延伸がその順番で行われることを意味するものであり、その洗浄には、延伸中洗浄の態様のものが含まれるものではない。
しかるに、審決は、本願発明における洗浄には、延伸中洗浄の態様のものが含まれると認定し、先願発明においても延伸中に洗浄されることが開示されている(このことは認める。)ことをもって、同一の実施態様のものであり、その点で本願発明と先願発明とを同一のものと判断したものであり、誤りである。
本願発明の特許請求の範囲1項において用いられた「かつ」という語は、被告が主張するように、接続詞として、「二つの動作または状態を表す表現を接続して、それが並行して成り立つことをあらわす。」意味のあることは否定しないが、その他に、副詞として、「ある動作・状態の上に他が加わることを表す」語である「その上、なおまた」という意味もあり、また「すぐに」という意味もある(乙第1号証)。
このように、「かつ」の語は多義的なものであるから、特許請求の範囲の記載から、本願発明の洗浄には、被告の主張するような延伸中洗浄の態様のものが含まれると当然に解釈することはできない。
そして、本願明細書の実施例や補正の経緯からすると、本願発明においては、フイラメントの冷却、洗浄、延伸はその順序で行われるものであって、その洗浄は、延伸前にされるものであり、延伸中洗浄の態様のものを含まないことは明らかである。
即ち、本願明細書に記載された全ての実施例において、洗浄の時期は冷却後延伸前とされているが、これは、昭和63年3月8日付手続補正書(甲第6号証)により、昭和62年5月20日付意見書に代わる手続補正書(甲第7号証の1)に添付された補正明細書の特許請求の範囲1項(甲第7号証の2)を補正することにより、同項に「かつ」の語が記載されると同時に各実施例も補正され、延伸中洗浄の態様のものを全て延伸前洗浄の態様のものに統一した(甲7号証の3、甲6号証)ことによるものである。
したがって、本願発明の特許請求の範囲1項の「かつ」の語は、各実施例に適合するように「それだけではなく、引き続き」の意味に解し、本願発明においては、洗浄は延伸前(冷却後)にされるものであり、延伸中洗浄の態様のものは含まれないと解すべきである。
審決は、本願発明の実施例においては、全て延伸前洗浄の態様となっていることを無視して、本願明細書の他の記載をもって、本願発明の洗浄は、延伸中洗浄の態様を含むと解釈したものであるが、審決のこの本願発明の要旨認定は誤りであり、審決は、この誤った要旨認定に基づき、本願発明と先願発明とは延伸中洗浄の同一の実施態様を有し、もって本願発明と先願発明とは同一であると判断したものであり、誤りである。
(2) 取消事由2-手続違背
審決においては、原告に対し拒絶理由通知をすることなく、特許異議の理由とは異なる理由により本願発明を拒絶すべきものと判断したものであり、審決には重大な手続違背がある。
審決における拒絶の根拠条文も特許異議において主張された異議事由の根拠条文もともに特許法39条1項であるが、その具体的事由は異なる。
すなわち、特許異議申立人は、特許異議申立理由書(甲第8号証)において、「本願発明の要件(C)において、ゲルフイラメントの延伸を行う前にゲルフイラメントを洗浄することにより、それに含まれている溶剤を少なくとも部分的に除去することは、本願公報(注-甲第3号証)の実施例Ⅰ及びⅡの記載から見ても明らかである(これらの実施例においては、紡糸して得られるゲルフイラメントをメタノール浴を通して溶剤を洗浄、除去した後、延伸している)。」と述べている。
この主張は、明確を欠くが、本願発明と先願発明とで洗浄時期に差異があることは承知しながらも、先願発明には延伸前に予備溶剤を付加して溶液組成を調節する態様が含まれ、延伸開始時点での溶媒含有率において重複があり得るから、両者は画然と区分できないというにあると認められる。
このように、特許異議申立人は、先願発明では延伸前及び延伸中の2回洗浄することがあり得ると主張したのであり、本願発明の溶剤除去態様については延伸前に洗浄するものと正しい解釈をしており、審決が拒絶の理由としたように、本願発明の洗浄には延伸中洗浄の態様が含まれるが故に先願発明と同一であると主張したものではない。
このように、審決が本願発明を拒絶すべきとする事由は、法条が一致するとはいえ、特許異議の理由とは異なるものであるから、特許庁は、その審理の結果を当事者に通知して意見を申し立てる機会を与える(特許法153条2項)か、改めてその拒絶理由通知をすべきであった(同法155条2項、50条)。
しかるに、特許庁は、そのような手続を経なかったものであるが、これは原告の意見申立て又は補正の機会を不当に奪うものであり、重大な手続違背があるものである。
第3 請求の原因に対する認否及び被告の主張
1 請求の原因1ないし3は認める。
2 同4は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。
(1) 取消事由1について
本願発明の特許請求の範囲1項の「かつ」は、乙第1号証に接続詞として示された用語法「働きかつ学ぶ」と構文上同一であり、接続詞として「二つの動作または状態をあらわす表現を接続して、それが並行して成り立つことをあらわす」語義を有するものである。
したがって、本願発明において、特許請求の範囲自体からしても、洗浄と延伸は同時に行われる態様を含んでいると解釈できるものである。
そして、審決が認定したように、本願明細書の発明の詳細な説明においても、「この場合、溶剤含有ゲル状フイラメントから延伸前、延伸中、延伸後、好ましくは延伸中にフイラメントから可能な限り多量に溶剤を洗浄によって除去する。洗浄は溶剤の可溶な浴中を通過させることにより、都合よく行える。」と記載されており、この記載からすると、本願発明における洗浄は、延伸前洗浄、延伸中洗浄、延伸後洗浄の3態様が含まれ、しかも延伸中洗浄が好ましいとされているのであるから、本願発明の洗浄には、延伸中洗浄の態様を含むものであることは明らかである。
なお、本願発明の実施例においては、全て延伸前洗浄の態様となっているが、本願明細書には、「以下の実施例によって本発明をさらに説明するが、本発明はこれらに限定されない。」(本願公報8欄10行ないし11行)と記載されているように、実施例として本願発明のすべての態様が記載されているものではないので、この点から、本願発明の洗浄に延伸中洗浄の態様のものは含まれないということはできない。
(2) 取消事由2について
拒絶査定不服審判事件においては、拒絶査定そのものの違法性にとどまらず、出願に係る発明について特許すべきか否かについても審理することができ、自ら特許すべき旨の審決又は拒絶査定の理由とは異なる理由により拒絶すべき旨の審決をすることができるものである。
本件審判事件においても、職権探知主義がとられているのであり、特許異議の理由として本願発明が先願発明と同一であり、特許法39条1項に該当し、特許を受けることができない旨の理由が申し立てられている以上、この理由に該当するか否かについて職権探知主義に基づいて審理し、拒絶すべき旨の審決をした点に何らの違法性はない。
また、特許異議申立人は、本願発明の洗浄には延伸中洗浄の態様が含まれるとの主張はしていない旨の原告の主張も正しくはない。
特許異議申立人は、本願発明の要件のうち、
(C)ついで、少なくとも部分的に洗浄により溶剤を除去し、かつ、
(D)ゲル状フイラメントを全延伸倍率が少なくとも(12×106/Mw)+1となるような延伸比でフイラメントのモジュラスが少なくとも約238g/dになるような温度において該延伸比を適用して延伸することを特徴とする、という部分と、先願発明の
(c)得られたポリオレフインゲルからなるゲルフイラメントを延伸するに当たって該ゲルフイラメントが該ポリオレフインに対して少なくとも25%重量の溶媒を含んだ条件下に延伸を開始し、
(d)延伸の最終段階で少なくとも大部分の溶媒を除去しながら、全延伸倍率が少なくとも11以上の延伸比で延伸して引張り強さ1.32GPa以上、弾性率23.8GPa以上のフイラメントを得ることを特徴とする、との部分に関して、次のとおり主張している。
<1> 先願明細書には、(d)において溶媒を除去する方法として、溶媒自体を使用する方法及びフイラメントをガスか空気の流れに導いて溶剤を蒸発、除去する方法(先願公報4欄23行ないし32行)が記載されている。
一方、本願発明の特許請求の範囲2項には「洗浄による溶剤の除去を延伸の間に行う特許請求の範囲1項に記載の方法」と記載されており、また、本願明細書に「好ましくは延伸中にフイラメントから可能な限り多量に溶剤を洗浄によって除去する。」(本願公報5欄42行、43行)と記載されていることから、本願発明には、(D)の延伸中に洗浄によって溶媒の除去を行う態様が包含されていることは明白である。
<2> 本願明細書の実施例Ⅰ及びⅡの記載からみて、本願発明の要件(C)において、ゲルフイラメントの延伸を行う前に、ゲルフイラメントを洗浄することにより、それに含まれている溶剤を少なくとも部分的に除去することは明らかである。
これに対して、先願発明においては、その要件(c)において「得られたポリオレフインゲルからなるゲルフイラメントを延伸するにあたって該ゲルフイラメントを該ポレオレフインに対して少なくとも25重量%の溶媒を含んだ条件下に延伸を開始し」と特定されており、出発原料であるポリオレフイン溶液のポリオレフイン濃度(1~30重量%)からみて、該ゲルフイラメントから少なくとも部分的に溶剤を除去しなければならない態様が先願発明に包含されていることは明らかである(先願の審査過程における昭和58年12月7日付意見書で本願出願人が述べているところによっても、(c)にはゲルフイラメントの溶剤抽出や部分乾燥をおこなって、ゲルフイラメントから溶剤の一部を除去する態様が含まれていることは明らかである。)。
以上のとおり、特許異議申立人は、両発明には、それぞれ延伸前及び延伸中のいずれにおいても洗浄を行う態様が含まれていることを、両発明が同一であることの根拠として主張しているのであり、本願発明の洗浄には延伸中洗浄の態様が含まれていることを主張していることは明白である。
第4 証拠関係
証拠関係は本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
理由
第1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の特許請求の範囲1項の記載)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。
また、先願公報に審決認定の記載事項があること、本願発明と先願発明とに審決認定の一致点及び相違点があることは、当事者間に争いがない。
第2 そこで、原告主張の審決の取消事由について検討する。
1 成立に争いのない甲第3号証によれば、本願公報には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果として次のとおり記載されていることを認めることができる。
(1) 本願発明は高分子線状ポリマーの溶液を紡糸し、フイラメントを延伸することによって引張強さ及びモジュラスが共に大きいフイラメントを製造する方法に関する(1欄21行ないし2欄1行)。
フイラメントは線状ポリマーを紡糸すると製造できる(2欄2行、3行)が、従来知られている製造方法によると、多くの場合、フイラメントの強度は理論的期待値をはるかに下回る(3欄36行、37行)。
本願発明の目的は、線状ポリマー、特にポリエチレンからモジュラス及び強度が共に高いフイラメントの経済的な製造方法を提供することにある(4欄40行ないし42行)。
(2) 本願発明は、前項の技術的課題を解決するために、その特許請求の範囲1項記載の構成を採用した(1欄2行ないし14行)。
(3) 本願発明の製造方法で得られたフイラメントは種々な用途に使用できる。補強材として繊維又はフイラメントを使用する種々な材料の補強材として使用できる。また、タイヤコードや軽量にもかかわらず高強度が要求される、例えばロープ、ネット、フイルタ布などの補強材としても使用できる(7欄末行ないし8欄6行)。
2 取消事由1について
原告は、本願発明における洗浄は、冷却後(このことは当事者間に争いがない。)、延伸前に行われるものであり、延伸中洗浄の態様を含まないとして、審決が、本願発明と先願発明とは延伸中に洗浄がされる点で同じ実施態様を有するとし、もって本願発明と先願発明とが同一であると判断したことの誤りをいう。
本願発明の特許請求の範囲1項は、ゲルフイラメントの冷却、洗浄、延伸の各操作を規定するについて、冷却と洗浄との間は「ついで」の語で結び(これが「次に」という意味を表す接続詞であることは明らかである。)、洗浄と延伸とは「かつ」の語で結んでいるものである。
成立に争いのない乙第1号証によれば、新村出編「広辞苑」(岩波書店昭和57年10月15日発行)には、「かつ」の語には、二つの動作・状態が並行して同時に存在することを表す副詞としての意味の他、「働きかつ学ぶ」の用語例のように、二つの動作又は状態を表す表現を接続して、それが並行して成り立つことを表す接続詞としての意味(「その上に」、「それと共に」)があることが記載されていることが認められるが、特許請求の範囲1項の「かつ」は、この接続詞としての用語法に該当するものであり、洗浄と延伸が並行して成り立つことを表しているものと認められる。
そして、冷却とその後の洗浄、延伸とは「ついで」の語で結んでその操作の順序を明確に規定しながら、洗浄と延伸とは前記の意味の接続詞である「かつ」の語で結んでいるのであるから、本願発明においては、洗浄と延伸は、ともに冷却の後に行われれば足り、それらの順序(前後又は同時)は問うものではないと一義的に明確に理解することができる。
そして、このことは以下の点からしても明白である。
前掲甲第3号証によれば、本願公報の特許請求の範囲2項には「洗浄による溶剤の除去を延伸の間に行う特許請求の範囲第1項に記載の方法。」(1欄15行、16行)と記載され、延伸中洗浄の態様が本願発明の実施態様項として規定されていることが認められる。
更に、本願公報の発明の詳細な説明においても、「本発明方法においては、紡糸口金からでてくるフイラメントを冷却帯域に送って、ここで実質的に溶剤を蒸発させずに冷却してゲル状フイラメントを作り、これを延伸する。この場合、溶剤含有ゲル状フイラメントから延伸前、延伸中、延伸後、好ましくは延伸中にフイラメントから可能な限り多量に溶剤を洗浄によって除去する。」(5欄37行ないし43行)と記載されていることが認められ、洗浄は延伸中に行うものが好ましいことが明らかにされている。
以上、いずれの観点からみても、本願発明の洗浄が原告の主張するように延伸前に洗浄するものに限定されるとは解されず、審決が認定したとおり、延伸中に洗浄するものを含むというべきである。
これに対し、原告は、本願発明の実施例においては、すべて延伸前洗浄の態様のものであり、延伸中洗浄の態様のものは、特許請求の範囲1項に「かつ」の語が加えられた補正の際に削除されたことを挙げて、本願発明の洗浄は延伸前のものに限られ、延伸中洗浄の態様のものは含まれない旨主張する。
しかし、成立に争いのない甲第6号証、第7号証の1ないし3によれば、昭和63年3月8日付手続補正書により、原告主張の補正がされると同時に前認定の特許請求の範囲2項の実施態様項が設けられるとともに、発明の詳細な説明に前認定の延伸中の洗浄が好ましい旨の記載が加えられたことが認められ、更に、前掲甲第3号証によれば、発明の詳細な説明に「以下の実施例によって本発明をさらに説明するが、本発明はこれらに限定されない。」(本願公報8欄10行、11行)と記載されていることが認められ、本願発明の技術内容が実施例に記載されたものに限定されないことが明らかにされていることからすると、原告主張の補正の経緯、内容を根拠に本願発明の洗浄が延伸前洗浄の態様に限定されるということはできない。
したがって、審決の本願発明の要旨の認定に誤りはなく、したがってまた、本願発明と先願発明との洗浄の実施態様が一致する旨判断したことに誤りはない。
よって、原告の取消事由1の主張は理由がない。
3 取消事由2について
原告は、審決が本願発明を拒絶すべきとした具体的事由は、特許異議において主張された事由とは異なるとして、審決の手続違背を主張する。
しかし、そもそも、成立に争いのない甲第9号証によれば、本件出願に対しては、審判手続において、昭和62年8月27日付拒絶理由通知書をもって、本願発明が先願発明と同一であり、特許法39条1項の規定により特許をすることができない旨の拒絶理由が通知されていることが認められるところ、原告は、この拒絶理由通知により、拒絶を回避すべく、本願発明が先願発明と同一にならないよう補正をする機会が与えられたものであるから、審決が本願発明の洗浄の態様は先願発明のそれと同一であるとの理由をもって、本願発明は先願発明と同一であるとして拒絶すべき旨の判断をすることは何ら原告の防禦権を侵害するものとは認められない。
なお、前掲甲第3号証、甲第6号証並びに当事者間に争いがない特許庁における手続の経緯によれば、前記拒絶理由通知の後、昭和63年3月8日付の手続補正を経て、平成元年5月15日をもって出願公告がされているが、特許庁は、いったん、出願公告の決定をしても、特許異議の申立てがあった場合、従前にした拒絶理由通知に示された拒絶理由により本件出願を拒絶すべきものと判断することは何ら妨げられるものではない。
したがって、既にこの点で、原告の手続違背の主張は理由がない。
また、以下のとおり、特許異議の理由も、本願発明においては延伸中洗浄の態様があることを前提としたものであり、何ら審決の理由と齟齬があるものではない。
成立に争いのない甲第8号証によれば、特許異議申立人ミツイ・ペトロケミカルズ(アメリカ)・リミテイツドの平成1年11月13日付特許異議申立理由補充書には、本願発明は先願発明と同一であり、特許法39条1項により特許を受けることができない旨が記載されているが、(D)として分説した本願発明の「ゲル状フイラメントを全延伸倍率が少なくとも(12×106/Mw)+1となるような延伸比でフイラメントのモジュラスが少なくとも約238g/dになるような温度において該延伸比を適用して延伸することを特徴とする」という構成と、(d)として分説した先願発明の「延伸の最終段階で少なくとも大部分の溶媒を除去しながら、全延伸倍率が少なくとも11以上の延伸比で延伸して引張り強さ1.32GPa以上、弾性率23.8GPa以上のフイラメントを得ることを特徴とする」との構成に関し、
「以上述べたことから明らかなように、本願発明の要件(D)もまた、その先願である甲第1号証の発明(注-先願発明)の要件(d)と完全に重複(一致)する。
さらに、以下のことを付言する。
甲第1号証の発明の要件(d)においては「延伸の最終段階で少なくとも大部分の溶媒がなくなるように溶媒を除去しながら・・・・・延伸する」ことが要件とされており、その溶媒を除去する方法として、液状溶媒を使用する方法及びフイラメントをガスか空気の流れに導いて溶剤を蒸発、除去する方法が記載されている(略)。
しかし、本願公報(略)の特許請求の範囲第2項には、「洗浄による溶剤の除去を延伸の間に行う特許請求の範囲第1項に記載の方法」
と記載されており、本願発明の要件(D)に延伸中に洗浄によって溶媒の除去を行う態様が包含されていることが明示されている。
本願発明の要件(D)の延伸に、甲第1号証の発明の要件(d)と同様に、「延伸の最終段階で少なくとも大部分の溶媒がなくなるように溶媒を除去する」態様が包含されていることは、本願明細書の発明の詳細な説明において、
「・・・好ましくは延伸中にフイラメントから可能な 限り多量に溶剤を洗浄によって除去する。」(略)と記載されていることから看ても明白である。
以上述べたとおり、本願発明の要件(D)の条件は悉く、その先願たる甲第1号証の発明の要件(d)と一致しているのである。」(9頁11行ないし10頁末行)と記載されていることを認めることができる。
この記載によれば、特許異議申立人は、本願発明、先願発明とも延伸中洗浄の態様が含まれることをもって、本願発明の要件(D)と先願発明の要件(d)とが同一であり、ひいては、本願発明は先願発明と同一であり、特許法39条1項の規定により特許を受けることができないと主張していることは明らかである。
そして、審決が相違点として挙げた点に対して示した判断は、本願発明と先願発明はともに延伸中洗浄の態様を含むもので、その点で同一であるとするものであるから、特許異議の理由と審決の拒絶理由とで齟齬はない。
以上のとおり、審判手続において、改めて拒絶理由通知をすることなく、審決がその摘示の理由で本願発明は先願発明と同一であり、特許を拒絶すべきものと判断したことに何ら手続上の違背はない。
よって、原告の取消事由2の主張も理由がない。
4 以上のとおり、原告の審決の取消事由の主張は全て理由がなく、審決には原告主張の違法はない。
第3 よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間を定めることについて、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、158条2項の規定を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)